様々な思想

ジャンル問わず様々な考え方を自分なりに書き留めます・・・

人間の脳について①

人間の脳は素晴らしいものだ、基本的に人間が生きていく上で今私がタイピングをしている指先の間隔を感じ、そのキーがタイプできたか、を感じタイピング音を耳で音波を受け止め音とする為に電気信号(インパルス)を刺激し聴覚部位に達し初めて音となる。逆に言うと、耳が無いと、電気信号が無いと、音として受け止める事すらもできない。

一つの音を感じるだけでこれだけの工程を経て人間はさらに高度な脳でこの情報を処理して音と感覚を感じる。

話を戻し、先ほどの私のタイピングの状況下で話すと、指先の間隔を感じ、タイピング音を感じ、画面に表示される文章を目で見て、文面を自分で考え且文章の誤字を確認しながら入力を繰り返す。

ごく当たり前な工程だ、文章を入力するものは皆この工程をするが、文章にするだけでも恐ろしい工程を毎秒以上に繰り返し処理しているのだ。

コンピューターで処理ができるだろうか?更に言うと私はタイピングをしながら音楽も聴いている、音楽を聴いているときあなたはどのように聞くだろうか?

リラックスして聞くだろうか?楽しんで聞くだろうか?悲しみを感じながら聞くだろうか?何れにしても何の感情もなく聞く人は居ないだろう。

ということは、さっきの工程にプラスで音楽を聴きその楽曲が誰が作曲したのか、誰が歌っているのか、歌詞はどのような歌詞なのか、メロディーは自分の好みなのか等音楽を聴いている時も脳は動き続けている。

世界最高レベルのスパコンですら人間が行っていることを同様に実施する事はできない。

 

今これを読んでいる方の家にHDDはあるだろうか、SSDはあるだろうか。

どれぐらいの容量の物を使っているだろうか。

人間の脳は単純計算で150テラバイトもの容量があるのだ、これは

4分5メガバイト=30,000,000曲に相当し、1億2千時間に相当する、要するにその人が生まれ生まれた傍から24時間365日音楽を聴き続け、100歳まで仮に生き続けても同じ曲を流すことはできないということだ。

 

想像もイメージもつかない話だが、そもそも休む事無く楽曲を聴くなんて事はできるわけも無いが(笑)まー例えとしては妥当だろう。

 

これでいて人間の脳は10㌫して使用されていないわけだ、昔『ルーシー』という映画を見たが人間の脳が100㌫に達するのは次元を異にしている事が描かれていた。

 

生きていく中で困難で苦しいことがあるだろうか、覚える事が出来ないことがあるだろうか、自分にはできないと嘆く事があるだろうか。

人間に秘められた脳の驚異を知ってもまだ、困難を感じ嘆くだろうか。

我々は本当の脳の限界に到達したものは誰もいないのだ。心が諦めても、脳は諦める事を知らない。

 

 

人生でのハッピーエンド

ドラマや映画で演じられるハッピーエンド、人生でそう起きる事は無い生きるとは終わりが無い日々を如何に満足と幸福を自分自身で見つけ感じて過ごすかだ。

 

後悔も満足も自分の尺度で決まる、80歳まで生きるとして約29,200回同じことを繰り返す、その中で全く同じ一日等過ごす人は居ない。

 

その約3万回の日々の中で自分が成長をし価値観の変化を生み、尺度を変え物事を見定め、後悔と満足を繰り返す。満足が多いから幸せかというとそうでも無く、後悔が多いという事は日々刺激があり、波乱万丈の人生を過ごすだろう。

そんな人生を送った物の方が、後悔はあれど充実しているのは無いだろうか。

 

後悔をする事が良いとは決して思わないが、何も無く決まり決まったレールを生き何も経験をする事なく、苦しむ事もなく年齢を重ねる方が私は勿体ないと思う。

 

苦しみを知り、痛みを知り、喜びを噛みしめ、荒波を生きた者の方が心と精神を鍛えられ全く違う尺度で物事を見、全く違う価値観を生み出すだろう。人の理解をするのが早い人はこういう人だ。

 

どれだけ、学力があり雑学がありIQが高い人間でも経験をしていないその分野の痛みを理解しなさいと言われても、理解はできない。

 

 

人を愛するとは

人を愛するとは何なのだろう・・・・

人を好きになるとは何なのだろう・・

 

愛していると証明する為にはどうしたら良いのだろう・・

1人の人を愛し続けるにはどうしたら良いのだろう・・・

 

自分がその人を愛している根拠はどこにあるのだろう・・

直ぐに違う人が気になるのはどうしてなんだろう・・・・

 

付き合い始めて直ぐに付き合うのが疲れるのはなんでなんだろう・・・・

一人でいると直ぐに寂しくなるのはなんでなんだろう・・・・・・・・・

 

やっぱり人と付き合わない方が良いと思ってしまうのは何でなんだろう・・・・・

 

あなたは私の事をどう思っているのだろう・・・・・・・

私はあなたの事をどう思っているのだろう・・・・・・・

 

恋愛の難しさを常感じる。

 

 

 

多様性を受け入れる(とは別件)

日本は1.2億人いる、十人十色などと言うが本当に全く同じ人など存在しない、良くも悪くも本当に色々な人がいる、自分と波長が合う人とそうでない人、やる気がある人やる気がない人、自分の立場が分かってる人分かってない人。

 

一人一人違いがあり、みんな違ってみんな良い等と言うが確かにその通りだと思う。

 

考え方だが、要は自分と波長が合わなかったり、苦手な人は絡まなければ良いだけだ。最低限だけ触れてそれ以外はほっとけば良い。

 

どだい人の全てを理解し介入する事は100%無理なのだ、どれだけ好きな人でも、家族でも、その人が1人の時に何をしているかなんて分からない。

 

それでも、自分と相性が合う人はそう簡単にはいない、その人はそういう人なんだと、こういう人間なんだとシッカリ認識した上で理解を示す事は様々な人や考えを尊重し自分自身が楽に人間関係を構築できるだろう。

 

 

※最近私のブログを見てくれる人が少し増えた、純粋に嬉しい。

 なぜこの内容を日記のような内容を公に晒しているのか、人間は共感を求める、

 人間は理解を求める、私も同様だ。

 たかが自分の脳の片隅で考えた捉え方や考え方をどういう考えで見るにしても見て

 もらえてアクションをしてくれる人がいるとそれだけで嬉しいものだ。

 色々な考えが世の中にはある、共感できる人、理解ができない人、コメントもして

 くれると嬉しいです!

 

 

全てが100%で行ける人間はいない

朝から晩まで同じことを訓練している人間でもその時、その日の感情・体調・気分で言動に左右される、それが人間だ。

人間と動物の違いは理性があるかだが、どれだけそれがメリットで分かっていても、理性があり脳を持っていても極限状態では感情を優先した判断をするのが人間だ。

 

訓練されて一部の分野だけで特化した人間ですら誤った判断をする。

一般の人間が判断を誤ったり、人生の選択を誤ったりする事は至極当然に起きる物だ、だから良いというものでは無いがそれをプレッシャーに生きる必要は無い。失敗すれば取り戻せばいい、失敗すれば同じ失敗をしないようにすればいい。失敗をする事は、判断を誤る事は次同様の状況下に陥った時に、同じ事をしないで済むというメリットが存在している。

生きるとはそれの繰り替えす事だ、そこから少しずつ経験値を積むことができる。

 

挫折した時、大変だと感じた時、何もしたくないと感じた時その状態をいつまでも継続できるわけでは無い、考え方だがその感情に至っている起因が必ずあり、その起因は上記のように考える事ができないのか改めて考察する必要があるだろう。

その時に自分の真価(進化)が問われるのだろうと。

 

『恐怖は常に無知から生じる』 by:エマーソン

休息と努力

なんでもそうだが一生懸命何かをした際に、普通に物事を熟すより体力を消耗するものだ、それが長期にわたって行われる場合その疲労による対価は大きい、いい意味でも悪い意味でもだ。

自分が体力や精神を削って行った先に見いだされる物もあれば、何かを失ったり、喪失感を感じ停滞する事もある。

 

最近、過去1か月程休まず働き過ぎて現在停滞中になってしまった。

自分でも何が悪いのかどうしたら良いのかは分かっているだからこそ、今はしっかり休んでいる幸いな事に上司はそれを分かり承諾してくれる方なのが唯一の救いだ。

 

どれだけ年をとってもバランスを維持する事は極めて大変だと改めて感じた、常に考え常に心に決めていても、気が付けば自分の体は限界を感じていた。

 

休息も努力もバランスを見ながら行わないといけない、結果として体を崩すまで行かなくても、バランスが崩れると少し脱線したり、停滞する原因になってしまう。

 

今回は1週間程度様子を見るだけで済んだが、それを超すと自分の生活にも支障をきたしてしまう結果を招くだろう。そうならないように改めて自分という人間がどれほどのものなのか考えて行わないといけないだろう。

 

自分の時間とは

空いた時間に何をするのか

 

空いた時間に休むのか、それともタダだらだらと時間を過ごすのか、自分の将来の為に自分の今後の為に役に立つ事を考え行動するのか

 

様々な面で、自分の体の体力は比較的無限である

何かを消費する事はない、体力を消費した際にはご飯を食べ、寝れば回復する。しかしそれ以外の物質や金銭は自分が楽をする場合キリが無く消費される。

 

どう考えるかだ、ダラダラと楽していてもお腹は空き、眠くはなるでは将来の為、自分の為に体を動かし同様にご飯を食べ、寝る、何かを得て終われる消費と何も得ないで得る消費どう考えても何かを得た消費の方が良いだろう。

 

問題はそうできるか、又は継続できるかだ。

 

最終的にはその人の考えと、やる気次第だ。

 

さてあなたは私はどちらなのか?・・・・・・・・・・